三國志VII体験日記
Ryu備さんの企画要請により実現しました。
YO7が思った事をつらづらと書いています。
2000年02月12日
今回は噂?の虞翻でプレイです。
何故、虞翻なのかというと占朴の効果を試したかったからです。
王朗には何故か許靖が仕官しているので早速訪問する。
理由は評価の特技を持っているので名声UPのためです。(笑)
親密度100までしたけど評価してくれなかったので名声UPせず。
しょうがないので下野をしたら、許靖が
「こんな形で別れの時がくるなんて。もう1度考えなおしてはくれないか?」
と嘆願してきたが、拒否しました。
孫策にでも仕官しようと思ったら劉表により滅亡されていたので柴桑と会稽にある新登場の都市、建安に滞在。
滞在中は巡察で民心掌握を100までUPし、それから旗揚げしました。
そしたら建安の民衆が虞翻様のためにと金1000兵糧10000を献上してくれました。
うう、民心掌握に努めて良かったです。
でも虞翻1人なので何かコマンドで行動力50消費しても余るので、一人で黙々鍛錬をした。
そうこうしているうちに劉表から勧告の使者が。
面倒?だったので承諾した。
翌月建安の太守に任命してくれるだろうと期待していたら伊籍が建安太守として派遣されてきた。
劉表許すまじ、と早速反乱し建安奪取に成功する。
劉表が攻めてきそうなので軍備拡張する。
もちろん鍛錬をすることも忘れていない。
みるみる能力がUPし、訓練度も100になったので劉表領柴桑に攻めたら、何故か高順が敵に居て
苦しい展開になった。しょうがないので占朴ばかり試す。
天気・風向きが変わったり、能力がUPしたりした。
が計略ポイントが無くなり、相手に混乱を仕掛けられず退却した。
その時兵8000まで減らされました。(涙)
翌月、怒った劉表が攻めてきた。総勢三万二千。
むむ困ったがやるしかないと、とりあえず前線の拠点で迎え撃つ。
やはり占朴を使うしかないだろうとやってみたら敵に落雷が落ちたので1部隊をあっさり撃破。
次々と占朴したら敵の兵糧が燃えたり、我が軍の士気が低下したりさまざまな展開になったが、
混乱を駆使しながら撃退成功。
でも、誰も配下になってくれずゲーム終了しました。
鍛練の成果
@毎月きちんと行動力50消費するコマンドを実行した後に鍛錬しました。
A誰にも教わらず、1人で鍛錬した。
虞翻の初期能力 武力68知力76政治81魅力48特技
煽動・鼓舞・医術・占卜
2年後↓
武力73(+5)知力82(+6)政治81(0)魅力50(+2)(総合+13)
特技 煽動・鼓舞・医術・占卜・「商才・乱射・罵声・穴攻・行動・鍛錬」(+6個)
装備 弓
2000年02月11日
今回は張魯で挑戦です。
赤字覚悟で金が続く限り徴兵しまくった。
訓練をしないで赤字を極力避ける程度に内政をしていた195年3月に憎き李カクが攻めてきた。
こちらの訓練度が低く部隊も3部隊、しかも相手は騎兵なので内心ビクビクしていたが、
相手の騎兵隊が幸いにも馬鹿だったので計略の混乱をしかけなんなく撃破。
皇甫嵩・朱儁ら漢の名将を捕縛>登用に成功し人材も充実した。
翌月も李カク攻めてきたが見事撃退。
おまけに李カクを捕えて斬首した。
そしたらなんと楊彪が後を継いだではないですか。
弔い合戦というわけか3度目攻めてきたがあっさり撃退。
そうこうしているうちに馬騰が勢力拡大をはかり安定に進撃し、楊彪勢力は長安のみとなった。
そこでゲーム終了でした。
2000年02月09日
毎回COM李カクに滅ぼされる劉璋・張魯が可愛そうだったので両者でプレイすることを誓う。
本日は劉璋で。
劉璋君はあいかわらず駄目能力君主だけど配下がそれなりにいいので何とかやって行けるだろう。
まず成都にいる武力60以上に兵を集中編成し、梓潼へ派遣する。
そのかわり梓潼から武力が低く内政が高目の奴を成都に呼寄せた。
梓潼では、もっぱら軍備拡充し兵糧赤字決定なので、成都は内政充実を図り、物資を梓潼へ補給する。
そうこうしているうちに江州太守の厳顔が勝手に永安>劉表領・江陵を攻めて制圧していた。
う〜ん、評定で委任のままにしていたのが仇になったか。
益州でじっくり頑張る予定だったのだが。
急遽、永安にも武将を派遣し劉表から攻められない様に軍備再編に着手。
張魯を滅ぼした李カクが攻めてくると思い、梓潼では6万の精鋭部隊で待ち構えていたのだが、
全然攻めてこないで終わってしまいました。
2000年02月8日
何となく糜竺でプレイ。
何事もなく2年が経って終了。(笑)
それではあんまりなので糜芳で再チャレンジ。
糜芳は武力に長けているため、補修か兵士の訓練の依頼が多い。
(武力もたいしたことが無いのだが、他の能力がもっと駄目なのでとのツッコミもありだが。)
富豪の特技を持っているので俸禄10+約300=約310 本当に金持ちなんだと実感。
1年間我慢して、政治+10になる春秋左氏伝を購入する。
これで糜芳の行動力回復量UPさ♪
糜竺・孫乾との親密度が100になったので、簡雍と親密を深める。
親密度が40になった頃に訪問したら、
「簡雍は、すっかり油断しています。暗殺しますか?」の選択肢が。
むむ、簡雍と糜芳は仲が悪いのかとふと思った。
思わず暗殺するを選択。見事暗殺失敗しました。親密度が1まで低下したし。
その翌月訪問したら普通通り接してくれた。
寛大なのかアホなのかよくわかりませんでしたが、平和に2年過ぎてゲーム終了しました。
2000年02月04日
そういえば今回計略を試していないなあと思い、程イクを選ぶ。
謀略といえばこの人でしょう。
だが初期では曹操の指示に従い内政に取り組む。
なかなか程イクの謀略の才を振るう機会が訪れない。
しかし、許昌太守に任命されてからは軍備・内政とともに周辺都市の諜報活動に専念。
洛陽の治安が低いので徹底的に流言をけしかける。
ふふふ、見事に治安・配下の忠誠度が下がっているではないか。
しかも計略を成功すると功績・名声が100ぐらい上昇する。
ちまちまと内政をこなすよりずっといい。
よしよし、今度は作敵をしかけ見事成功。
翌月、洛陽を攻めて味方の兵の損害をかなり抑えて洛陽攻略成功。
ここでゲーム終了。
短い、短すぎるぞ。
早く製品版で遊びたいです。
2000年02月03日
今日は張遼でプレイ。
わざと呂布との親密度を下げ、曹操にでも寝返ろうかとおもいつつ。(笑)
とりあえず訓練を提案したら、受理される。
COM呂布はCOM孫策と違って話がわかるようだ。何故。(涙)
しかも結構内政にも力をいれるCOM呂布。何かおかしいぞ。
どんどん功績値がたまって濮陽太守に任命されてゲーム終了。
何かむなしい。
2000年02月02日
何気なく蒼天航路を読んだら無性に夏侯惇でプレイしたくなった。
夏侯惇の能力は武力91知力72政治74魅力83と後の魏大将軍に恥じない評価であった。
数値はよいが特技が6個しかなかったのが残念である。
親密度は曹一族全員が51で、他の曹操家臣団とは21だった。
曹一族が師事して欲しいと結構くる。忙しい夏侯惇。
同僚とは親密度は共通で21のようです。
兵士が4000人も配属されているので、訓練を志願するが却下される。
何故?ともう一回提案したがまたしても却下される。
(提案が却下されると親密度が下がります。)
これ以上親密度の低下を防ぐために内政の技術を提案し、やっと受理された。
君主の心を掴むのは難しいものだと思った。
数ヶ月後、許昌太守に任じられる。
よ〜し、思いっきり軍備を増強するぞと思ったら文官ばかり。
しょうがないので徴兵するものの内政に重点をおくハメに。
夏侯惇なのに2年間で一回も出陣せずに終わってしまった。(涙)
夏侯淵でもやってみたが同じハメに。
俺のやり方が悪いのだろうか?
2000年02月01日(だと思った)
今日は私が大好きな魏の名将、張コウでプレイ。
何故私が張コウがお気に入りかという理由は、三國志IIIを遊んでいた時に遡る。
我が軍(君主忘れた)の守備部隊が丁度3部隊しかいない時に、敵に攻められました。
その時、兵士数が多く武力が高い味方は張コウだけでした。
相手の軍勢は8部隊で10万ぐらい。
う〜む、やばいぞ、こいつは勝ち目がないな。でも、駄目元で一騎撃ちで1部隊でも減らそうと考え、
張コウに一騎撃ちをさせる。
すると、一撃で相手をなぎ倒すなぎ倒す。
しかも6人連続一撃必殺で。(感動)
7人目もなんとか一騎撃ちで下し、総大将は退却しました。
これがきっかけで、私は張コウを優遇することにしました。
むむ、今回は武力が88にダウンか。せめて90欲しかったな。
でも知力74あるので我慢しよう。
知力を上げるべく沮授に近づき親睦を深め鍛錬で知力・政治を上げまくった。
いやあ、特技の鍛錬を持っていると経験値がたまるたまる。
功績値が500になったので袁紹に四品官に位上げしてもらったので御礼として訪問する。
そしたら袁紹との親密度が高くなり、将軍に任命され兵士数も増加された。
が、翌月いきなり将軍を降格された。何故だろう?
とにかく訓練をしていたら南皮が公孫サンに攻められたので援軍に行って欲しいとのこと。
ふふふ、我が部隊の活躍を特と御覧あれ!と勇んで出陣。
良く見ると南皮の味方は袁紹を除き部隊数は多いものの兵士数が少ないので、公孫サンに各個撃破される。
しかし我がギョウの援軍が2部隊で公孫サン軍の補給線を断つことに成功。
補給線を1部隊で断つと士気5低下するので、2部隊で毎ターン10低下しなんとか南皮を死守した。
だが翌月も攻められ南皮が奪われた。
ギョウが本拠地になったとこでゲーム終了。
う〜む、2年は短か過ぎです。
2000年01月31日(たぶん)
今日は呉軍の武将で遊ぼうと思い、黄蓋でプレイする。
おお、黄蓋のグラフィックが異様にカッコイイぞ。知力48というのが気になるが。(笑)
黄蓋の部隊1500で訓練度50だったので、訓練を願い出たが小覇王・孫策に却下される。
(最低訓練度は全員50です。)
君主との親密度が低いからかな?と思い、せっせと親睦を深める。
よし、今度こそ訓練を我が君に提案するぞと思ったら、憎き劉表が攻めてきた。
早速迎撃を命じられるがいかんせん黄蓋直属兵1500(訓練度50)では劉表軍の
最低兵士部隊6000にも勝てません。(笑)
我が呉軍は部隊数が多いものの1部隊単位の兵士数が少ないために各個撃破され、促滅亡。
ゲーム開始4ヶ月の出来事でした。(笑)
おかしいなと思い今度は程普で再チャレンジ。
結果は、やっぱり半年で滅亡しました。
COMが担当する我が君・孫策は、はっきりいって頭が悪いです。(爆)
小覇王の割りには軍備をおろそかにし、内政ばかりです。
いや、内政をするのは大変良いことなのですが、軍備で他国に隙を見せてはいけないのですよ。
美周郎がついておりながら、徴兵はおろか訓練もしないとは。(悲痛)
劉表の方がきっちり軍備をしっかりしています。
悔しいので3度目は周瑜で雪辱を。(2月以降だったと思う。)
早速徴兵を進言し、兵士を編成しなおして訓練に励む。
もちろん内政も怠りません。
これを1年間みっちりやっていたら、孫策が劉ヨウを攻めようというので攻め滅ぼす。
ついでに江夏・江陵も奪取。
ふう、これで恨みは晴らしたよ。(笑)
感想
COM孫策には一般武将の身分では安心して仕えることができません。(笑)
2000年01月28日
仕事から帰宅した私は、郵便物があるので何かなと思ったらVIIの体験版じゃないですか。
うほほ〜い、と喜び早速インストールしプレイ。
ん、BGMが収録されていない。まあ、容量圧縮のため仕方ないかと三國志IIをかける。
誰で初プレイを飾るかと悩みぬいた結果、水鏡先生こと司馬徽に決定しました。
司馬徽は襄陽に住む在野でした。
とりあえず、7の売りである交友コマンドの手紙を伊籍に送った。
伊籍「司馬徽、知らない名前だな。」
と言っていたが、すかさず手紙を送った。
何回か送ると相手からも返書してくるようになった。
返書してくると通常の2倍ぐらい親密度が深まるのに気が付いたのもこの頃でした。
2ヶ月後に伊籍が訪ねてきました。用件は劉表に仕えないかということでした。
早速承諾し、司馬徽は劉表配下になりました。
自己コマンドで襄陽の巡察をしたら民に金を恵んでくれとせがまれたので、恵んだ。
襄陽の民心掌握が8ぐらいUPしました。
もっと、巡察したら日照なので雨を降らせてくれとのこと。
雨乞の特技を持っていない司馬徽だったが一応承諾してみた。
やっぱり雨は降らなかった。(笑)そしたら、民心掌握が8もダウン。
げ、振り出しに戻ったじゃん。(涙)
我が君である劉表様から内政を命じられる。
言われたとおりに命令をこなしていたら、功績値が500になって四品官に出世した。
12000の兵指揮権も貰った。
嬉しかったので劉表に礼を言うのを兼ねて訪問することに。
毎月訪問していたら何時の間にか親密度が100になっていた。
君主・軍師・太守との親密度が高いと兵を多く編成してくれるようだ。
武力10台の司馬徽に12000の兵を与えるのはどうかと思ったが。(笑)
しばらく後、孫策を攻めるため江夏と江陵から軍勢が出陣し見事孫策が滅びた。
翌月、劉表様から江夏の太守の印綬を渡される。
もちろん快諾し江夏太守として江夏へ赴任する。
江夏の統治方針が委任だったので私の思い通りにできると喜ぶ。
巡察し江夏の民心を掌握しながら軍備を充実する。
攻めるためじゃなく、江夏を守るためにとにかく兵士を徴兵しまくった。
徴兵は太守以上の身分じゃないと提案・実行できないようでした。
もちろん、内政の充実もおろそかにしていませんよ。
そうしたら柴桑太守から廬江を攻めるので援軍要請をしてきた。
快諾し、太守自ら出陣した。武力10台のくせに。(笑)
3日で戦場に到着したが、江夏の援軍が何もしないうちに蹴りが着いてしまった。
う〜ん、と思っていたら2年が過ぎたのでゲーム終了。